エピソード

霊感を生まれ持った少女が
世界的な占い師になるまで


霊感を生まれ持った少女

1945年、仙台市で少女が空を見上げて「飛行機が来る」とつぶやいた。「そんなバカな」と、ほとんどの大人は相手にしなかった。数分後、空襲警報が鳴り響く中、爆弾を載せたB-29が飛んでくるのを見て大人たちの顔は青ざめた。「的中した・・・・・・」
しかし子供だった少女はその後、「予知」した出来事を肉親や親しい友人に話すに留めた。家が貧しく爪に火を灯す生活。靴も靴下さえも買って貰えず、雪が積もる中、裸足で小学校へ通った。
「やーい。お前んち貧乏。靴下もないでやんの」同級生に石を投げられて泣きそうになった。しかし歯をぐっとくいしばって「家が貧乏なんだから、私が頑張らなきゃ」と倒れそうになる体を支えた。
少女は二人の弟の面倒を見ながら、大人たちに混じって炭焼きや鉄くず拾いの仕事をして家計を助けた。
手先が器用で縫製が好きだったので、そのような学校へ進学することを夢見ていた。
「服飾デザイナーになりたい」
それが夢だった。
しかし、家にそのような余裕はなく、学校に通うことを諦め家族のために働いた。少女が通うことのできた最後の学校は中学校だった。




病気で死の淵をさ迷う

1989年、少女は成長し母親になり忙しく働いていた。しかし突然、原因不明の病気になり床に伏してしまった。何度も意識不明になりながらもなんとか生還した。
3月15日のことだった。彼女はある朝目を覚ますと、自分の「力」が飛躍的に強まっているのに気がついた。
そして3日後の3月18日の早朝。強まった「力」は身体の底から溢れるようにして、彼女にある行動を起こさせた。「和紙」の上に凄まじい速さで「筆文字」が踊った。それは自動書記というスタイルによる「予言」だった。
その後も予知能力は成長を続け、1989年に「天安門事件の発生」を、1991年には「雲仙普賢岳の噴火」を予言した。これらは、雑誌「ムー」や週刊誌「フライデー」に頻繁に取り上げられ、日本中の大きな話題を呼んだ。




世界的な占い師へ

そして1993年1月3日。
「ロサンゼルス・タイムズ」が正式に彼女を評価し、『世界トップ10の占い師』の1人に選んだ。「ロサンゼルス・タイムズ」はアメリカで5本の指に入る伝統ある新聞紙。
彼女は言う。「人生に遅すぎることなんてない。常に今が人生のスタート地点」
裸足で小学校へ通った少女「柴俊子」は自分が授かった「力」を磨き続け、ついには世界的に認められるまでになった。





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